クルミ・・・ある童話作家のタマゴの話16

近況その➆

  1. 立ちあがるのがかなりキツイ。立ったら水平には歩ける。
  2. 夜眠れないのがかなりキツイ。
  3. 癌がかなり進行しているようだ。
  4. あまり痛いところもないが、全身がかなりキツイ。
  5. このブログもあと何回続けられるだろうか。

 

             くるみ

                       タカスギケンジ

 台所の食器棚の片隅に、小さなオニクルミの実が二つころがっている。手のひらに、この二つのクルミをにぎりしめて、いつもガリガリと鳴らしていた高校時代を思い出す。クルミの実には、あの時代の思い出がつまっている。

 

 クルミの実を手にしたのは、約四十年前のことだ。もう、駅の名前も忘れてしまったが、三江線の小さな無人駅のホームの横に、クルミの木が生えていたのだ。山を少し登った所に駅のプラットホームがあり、その周りを様々な高い木の枝がおおっていた。その木のなかにクルミの木があったのだ。当時の私は十六歳。高校二年生。秋のことだったと思う。

 私は広島県の北部にある三次市で生まれ育った。三次には多くの川がある。西城川、馬洗川、神之瀬川、可愛川の四つの川が合流し、江の川となって島根県江津市まで流れていく。三江線は三次から江津まで、江の川沿いを走っている。

 母親の実家が三江線沿いにあったので、幼い時は、よく列車に乗って母親についていった。列車に乗ると、よくこんな狭い所に橋を作り、トンネルを掘り、線路を敷いたものだなと感心する。それぐらい険しい山々が車窓から迫ってくるのだ。日本のローカル線の中でもかなりの難工事をクリアして、全線開通させた線路だ。

 母親の実家は今では住む人も無く、近く取り壊される予定だ。家の近くの畑は耕作する人も無く荒れ地になっている。月日は人々の営みを自然に返すのに時間を惜しまない。

 三次盆地は秋になると寒さで霧が発生し、街全体を霧がおおう。寒い日の朝早く三次で一番高い山、高谷山の頂上からふもとを眺めると、まるで海の中に島が浮かんでいるように見える。「霧の海」として地元では有名だ。今は高谷山の頂上まで、きれいな道路が通っているが、あの頃は舗装されていない狭い山道を登った。

 小学生のときは当然徒歩で登った。しかし高校生になると、みんなバイクの免許を持っている。今と違って免許を取ることに何の問題も無く、多くの高校では、バイク通学が認められていた。母校も確か家から駅まで、もしくは家から高校まで、六キロ以上離れていればバイクで通学できた。多くの級友が原付で通っていたが、なかには小型二輪、一二五CCのバイクで通っている先輩もいた。

 母校では年一回、交通安全教室がひらかれていた。白バイの警察官が高校に来て、無造作に置かれた古タイヤの上を走り、その後をバイク通学生が、それぞれのバイクに乗ってついて走ったのを覚えている。白バイ乗りは上手かった。あの重い白バイを上手くコントロールし、古タイヤを越えていくテクニックは見事だった。

 私もバイクの免許は十六歳の冬休みに取得した。と言っても原付だから簡単だった。当時は実技講習も無く、五○問の○×学科試験だけだ。免許を取得したクラスの友人から、一冊の問題集を借りて勉強した。その日の試験はちょうど勉強した内容と同じような問題が出た。試験場には高校の友人が何人も受けに来ていたが全員合格した。

 バイクを買ったのは高二になってからだ。中三の冬休みと高一の夏休みにアルバイトをしていたので、七万円持っていた。その頃近所の自転車屋に、ホンダCB50JXが置いてあった。四サイクル単気筒四十九CC。色はオレンジ。もちろん中古車だ。値段は七万円。買えば全財産が無くなる。どうしようか悩んだ。一日中考えた。お金は持っていれば様々なモノに交換できる。しかしお金に乗って走ることは出来ない。モノに交換してこそお金の価値だと。だから買った。このバイクが、その後四十年に渡って、バイクを乗り続けた私にとっての、記念すべき最初の一台になった。

 

 高二の秋、このCBで高谷山に登った。午前六時ごろ家をでた。白い霧でまわりがあまり見えないなかを走った。小さいときには何時間もかけて歩いて登った山は、バイクではゆっくり走っても、家から二○分もかからなかった。

 ただし何度も転倒しそうになった。舗装されていないから車の轍が出来ている。その左側を走るのだが水たまりになっていたり、石があったり、道路のコンディションは最悪なのだ。CBはオンロード車。アスファルトの上を走るためのタイヤがついているバイクだ。

「こんな道ならオフロード車を買えば良かったかな。まあ、こんな道だからゆっくり行くさ。でも車が来たらすれ違えないなあ」と思いながら進んだ。

 頂上近くの空き地にバイクをとめた。そこから歩いて五分のところに「霧の海展望台」がある。私が展望台に向かって歩いていると、展望台の中に、一台の見慣れたバイクがとめてあるのが見えた。ホンダダックス50。四サイクル単気筒四十九CC。色は黒。その横に一人の男が「霧の海」を見ているのを見つけた。知った顔だった。私は男に声をかけた。

「おはよう。杉田くんか」

 私は杉田に声をかけた。杉田は驚いた様子でも無く、振り返った。

「おお。おはよう」

 杉田と私は小学校からの同級生だ。中学校・高校も同じ所に進学した。小学生のとき魚釣りを教えてくれたのが杉田だ。川や、ため池に一緒に魚釣りに行く仲だった。また中学校では同じサッカー部に入った。一緒に汗を流した仲だ。

 だが中学校・高校ともに、同じクラスにはならなかった。また、高校に進学してから杉田は継続してサッカー部に入部したが、私はサッカーをやめてしまい囲碁・将棋部に入部した。そのためか同じ高校なのに、杉田と小・中学校のときほど、話をする機会はなくなっていた。

「何か久しぶり。同じ高校なのに会わないなあ」

「そうだなあ。まあクラスもクラブも違えばそんなもんだろう」

「もうサッカーは、やらんのか。きみがキーパーだったら、この間の試合勝てたかもしれんのにと、○○先輩が残念がっていたで。三年の先輩達はみんな引退したから、この時期に入部するヤツもいるぞ」

「え。もう一年半もやっていないからな。今更試合に出てもボールがとれないだろう。それにうちの高校、クラブの掛け持ちなんかできないだろ。もうサッカーには縁が無いんだ。みんなで頑張ってくれ。それよりすごいな。街が全然見えない」私は眼下の「霧の海」をさして言った。

「そうだな。何か幻想的だよな。霧の中に山が浮かんで見えるのが、海の中に島が見えるのと似ているからそう言うんだろう。たしか昔、小学校のころ登ったよな。あの時は結局見えなかったけど。それから、来る機会がなくて・・・でもすごいな」杉田と私は小学校六年生の頃、「霧の海」を見ようと計画を立てて、この高谷山に徒歩で登ったのだ。だが、その日は霧が出なくて、残念ながら「霧の海」は見えなかったのだ。

「リベンジが出来て良かったな。きみも今朝はこれを見に来たのか?」

「ああ。今朝はかなり冷えるから、霧がふもとでも発生していたからな。ただそれもあるけど、他にも理由がある。クルミの木がないか探しに来た」

クルミか?」

「ああ。握力を鍛えるのにクルミを握るのが良いらしい。この間、読んだマンガに書いてあった」

 私の高校時代は武道・格闘技マンガばかりだった記憶がある。私が特に好きだったのが『空手バカ一代』だ。このマンガは実在する極真空手の館長、大山先生を主人公としていたので、多くの内容が事実だと思い込んでいた。素手でビールビンを切る。十円玉を曲げる。自然石を割る。牛と素手で戦う。空手を学べば超人になれると思い込んでいた。しかし、近くに極真空手の道場は無かった。クルミの話は、この空手バカ一代か、もしくは他の武道マンガに書いてあったのではないかと今は思うのだが。

「この山ではクルミは見ないな。それより、三江線粟屋駅から、何駅か乗った所にあったぞ。たしか」

「本当か」

「ああ。行ってみるか?これから」

「おう案内してくれ」

 私は杉田のダックスの後ろを、CBでついて行くことになった。久しぶりに人のバイクの後ろを走るのか、少し怖いと思った。何故か。私は高二でバイクを買ってすぐに、友人三人でツーリングにでかけた。私は二番目を走っていた。しかし、ハンドル操作を誤り崖に激突してしまい、全身打撲の大けがをした。たいした運転テクニックも無いのに、無理してついていったのがいけなかったのだ。免許は学科試験だけなので、自分で運転技術を磨かなければいけないのだが、それが出来ていなかった。このバイク事故以来、私は友人と走らなくなった。人と同じペースでバイクを走らせるのが怖くなっていたのだ。だから、少し怖かったのだ。

 

 そう思っていた私と杉田のバイクによる、三江線の駅巡りが始まった。杉田の家は三次駅から二つ北西に進んだ、粟屋駅の近くにある大きな農家だ。広大な山と田畑を有していた。ちなみに粟屋駅無人駅だ。駅員はいないし、改札もない。長いホームがあるだけだ。粟屋駅に限らず、この頃すでに三江線では多くの駅が無人駅になっていた。

 我々二人は高谷山から下りて、道路を北西に進んだ。最初の粟屋駅を通り過ぎた。長谷駅も通り過ぎた。杉田は初めて船佐駅でエンジンをとめた。私もダックスの横にバイクをとめて、周りを見回した。クルミの木を探した。しかし、駅の周りに大きなクルミの木は見当たらなかった。

「ここではないな」

「何駅か覚えていないのか?」

「ああ。こんな駅だったが、駅名は覚えていない」

「じゃあ。次に行こうか」

「そうだな」

 舗装はされていたが狭い道路を二台のバイクが三江線沿いを走った。そしていくつか駅を探すなかで、目当ての駅にたどり着いた。本当に駅の名前はもう忘れてしまったのだが。バイクをとめて、その駅のホームに登った記憶だけはある。

「これだ。あった。この駅だったんだ」

駅のホームの端に、枝を伸ばした大きなクルミの木を見て杉田が叫んだ。

「これか、これがクルミの木?」

よく見ると緑色の実がブドウのように房になってついていた。多分この時、私は初めてクルミの実が木についているのを見たのだ。

「これの中にあの硬い実が入っているのか。どうやって取り出すんだろ」

「水につけておけば外側は腐るさ。でも早く取り出したければ、こうやって削れば良いのさ」

 杉田は駅のホームのコンクリートに、落ちていた少し茶色かかった緑色のクルミの実をこすりつけた。すると中から、あの硬い茶色の実が出てきた。その時だ。もうすぐ列車が来る時間だったのだろう。一人の老婆が駅のホームに上がってきた。

クルミを取りにきたんね?どこからきたんね?」と聞いてきた。

「はい。三次から来ました。クルミ持って行っても良いですか」私は少しびっくりして正直に答えた。よく考えればたとえ山の木だって持ち主がいるのだ。この木だって誰かのものだ。勝手に持って行けば泥棒だ。しかしそんな心配はいらなかった。

「いいよ。持って帰りんさい。今時、誰もオニクルミの実なんか食べんわな。好きなだけ持って行きんさい」そう老婆は答え、ホームの中央へ向かった。

「このクルミの木は、あの人のものかな」

「あの人のものでなくても、田舎には入会権があるんじゃ。昔から山の所有者で無くても、その山の木を薪に使っていたら、持って行って良い権利だ。山菜や木の実なんかもそうだ。でも、最近は街から山菜を取りに来る人が山を荒らすから、縄を張って入山禁止にしている所も多くなったんだ」そう杉田が教えてくれた。 「マッタケなんかもか?」

「高級品はだめだろ」杉田があきれて言った。

「こいつを割れば中身が食べられるんだ。でも目的は、この硬い実なんだろ」

「ああそうだ。ありがとう。とりあえず落ちているヤツを持って帰るわ」

「帰りはスピードを出すから、無理してついてこんので。自分のペースで走るんで」と杉田が言った。

「わかった」杉田の言うとおり、私はゆっくりついて走った。しばらく走ると、杉田のバイクは見えなくなった。

 何故、杉田は私のクルミ探しに付き合ってくれたのか。案内までしてくれたのだろうか。今思えばバイク事故以来、私は人付き合いが悪くなっていたのだと思う。いろんな友人の誘いにあまりのらなくなっていた。そんな私を杉田は心配してくれていたのではないか。

 あの日、私が高谷山に行く予定であることを誰かから聞いていたのではないか。だから待っていた。さらにクルミの実を探していたことも、本当は知っていたのではないだろうか。何故なら先に帰ったはずの杉田が自分の家に曲がる交差点で待っていたからだ。

「あれ。待っていてくれたのか。ありがとう」私がそう言うと

「いや。遅いんで、事故でも起こしていないか心配していた。それとバイク、もっと練習した方がいいぞ。カーブで少しふらふらしていた。だけど人生は人それぞれだから、自分のペースで走ることも大切なんだ」

「ああ。ありがとう。今日は久しぶりに、人について走ったよ」私がそう言うと

「じゃあな。また一緒に走ろう」と言って杉田は家に帰っていった。

 杉田はクルミを探しにいくときは、バイク乗りの、お手本を見せるように、ゆっくり走ってくれた。帰りには、こんな走りも出来るんだ、というように速く走るテクニックを、見せてくれた。約四十年前のことだ。本当に杉田は優しい友人だった。

 私は家に帰り早速、茶色になりかけた緑色の外側の皮を削り、中の硬い実を取り出した。きれいに洗い、ミシン油をつけて磨いた。テカテカしてきた。その日からずっと手に持ってガリガリ鳴らした。

 制服のポケットの中には、いつもクルミの実が入っていた。朝夕の通学列車の中でも、駅から高校までの徒歩での道のりも、手の中の二つのクルミガリガリ鳴らした。家では数学の問題を解いているときも、化学反応式を覚えているときも、ガリガリと鳴らした。

 

 私の母校は三次から二十キロ離れた街にあった。一学年、普通科六クラス。家政科一クラスの規模だ。家から二キロ、すぐ近くの高校には行けなかった。この時代、高校入試は総合選抜制。合格者を複数の高校にクジで振り分けるのだ。合格はしたが、クジには外れたのだ。しかしその代償は大きかった。列車通学なので定期代がかかる。朝早く起きなくてはいけない。帰りの列車を逃したら家に帰る手段が無い。そして進学校では無い。先輩達の進路は進学と就職が半々。進学も専門学校や私立大学が多く、国立大学進学者は数人だった。

 私はただボーと高校生活を送っていた。あまり勉強もしなかった。みんながバイクの免許を取るから自分も取った。みんなと同じように過ごしていれば、人生何とかなると思っていた。しかし、よく考えたら専門学校や私立大学なんかに進学するお金は無い。家の経済力では進学するには国立大学しか無かった。クルミを鳴らしていたとき、杉田の言葉を思い出した。

「人生は人それぞれか。そうだ、みんなと同じことをやっていてはだめだ。国立大学に進学したら空手を習う機会もあるかもしれない。今のまま何も真剣にやらなかったら未来は無い。」杉田の言ったのはバイクだけのことでは無い。人生は人それぞれ、頑張ればどうにかなるのだ。

 クルミをにぎり続けた私は、脳が活性化したのか、突然そう思ったのだ。ある本によると我々人類の右脳は思考力・判断力を司り、左脳は記憶力を司るという。そして首のところで神経が交差しているので、左手を刺激すると右脳が活発になり、思考力・判断力が伸びる。右手を刺激すると左脳が活発になり、記憶力が伸びる。

 私は高二の冬から受験学習を始めた。右手に鉛筆を持っているので、クルミは左手に持ってガリガリ鳴らしながら学習した。思考力が伸びた。数学や化学の問題がよく解けた。成績も伸びた。握力をつけるという最初の目的は変わった。学習のためにクルミをにぎり続けるようになった。

 

 三年生になっても、クルミをにぎり続けた。それどころか、頭が活性化するので授業中もガリガリ鳴らすようになった。最初はどの先生も注意しなかった。ますます図に乗って鳴らすようになった。そして

「やかましい」それは日本史の時間だった。ものすごく怒鳴られた。

「すみません」びっくりして、とっさに口から言葉が出てきた。

「前から言おうと思よったんじゃ」という先生の言葉で、みんなに迷惑かけていたことに気づいた。

 クルミは没収されなかった。人生人それぞれと言っても、みんなに迷惑をかけたらいけないよなと反省し、それ以後授業中にガリガリ鳴らすことはやめた。そして朝夕の通学列車の中でも鳴らすのはやめた。ただ家の中や駅から高校までの徒歩での道のりでは、クルミガリガリ鳴らした。

 私は総合選抜制の三回生であり、共通一次試験の三回生でもある。その共通一次試験にも、お守りとしてクルミを持って行った。一年間にぎり続けたクルミは、私の目標への出発点だった。大学に進学し空手を習う。将来どんな職業に就くとか、何を学びたいとかそんなこと全く考えないで、共通一次試験を受けた。共通一次試験の得点で、合格しそうな大学を受験した。この年の卒業生で国立大学に合格したのは私を含め六人だった。

 クルミの中には、三江線の駅をバイクで巡った思い出と、友人の杉田の言葉、にぎり続けて学習した、一年間がつまっている。そんな小さなオニクルミの実が、今でも台所の食器棚の片隅に、二つころがっている。

 三次から江津をつなぐ三江線は赤字路線という理由で今年、二○一八年、三月に廃止された。あの無人駅のホームの横に生えていたクルミの木。今も生えているのだろうか。枝を大きく広げてホームをおおって。

                                   おわり

 

山猫・・・ある童話作家のタマゴの話15

近況その➆・・・

 在宅緩和ケアのお医者さんが家に来た。けっこう悪いところがあった。

  1. 手足が少しむくんでいた。
  2. 右足の付け根の筋肉痛
  3. 黄疸がでた。

息子が心配して帰ってきた。色々手伝ってくれるので助かった。

 

 

    海の星

                   タカスギケンジ

 ヤマネコリョウタはお医者さんです。リョウタ先生は山のふもとに小さなヤマネコ医院を開いています。リョウタ先生の病院には、動物のかん者さんも来ますが、人間の子どものかん者さんも来ます。今日のかん者さんは小さな人間の女の子です。

「今日はどうしましたか?」リョウタ先生は女の子を連れて来たお母さんに聞きました。

「はい。実は昨夜から『お腹がいたい』と言って、ご飯を食べないんです。それで連れてきたのですが・・・」

「熱はありませんね?」

「はい。今日も昨夜も平熱です」

「風邪かな」そう言うとリョウタ先生は、チョウシンキを女の子のお腹にあてて調べました。それから

「ここはいたいかい?ここはどうだい?」とお腹に手をあてて聞きました。

「いたくない。大丈夫。いたくない」女の子はいたいようすではありません。

「そうか。うんちはちゃんと出ているかい。うんちが出ないとお腹がいたくなるぞ」

「大丈夫。ちゃんと出ているわ」

「モウチョウとかではないですね」

「うん。お腹じゃない。ココがいたいの」女の子は自分のムネをおさえて言いました。

「そうか。ムネがいたいのかい。ムネがいたくて、ご飯が食べられないのだね。何か悲しいことでもあったのかい」リョウタ先生はやさしく聞きました。

 

 女の子は最近あったことを、リョウタ先生に話しました。仲の良かった男の子と『海の星』をさがしに行く約束をしたこと。その男の子が、お父さんのてんきんで、遠くに引っこしていったこと。みんなが『海の星』なんてないと言って信じてくれないこと。女の子は悲しくてムネがいたくなってしまったのです。そして女の子はリョウタ先生に聞きました。

「『海の星』はないの?」

リョウタ先生は自分の小さい時のことを思い出しました。ムネのなかにあった不思議な物語。空を飛ぶほうき。魔法つかい。雲の中の水晶のお城。山の上の太古の生き物。そして見るとどんな願い事もかなう『海の星』。小さい時には信じていた自分。

「あるさ。人間の世界では、もう無くなってしまったものでも、ぼくたちの、動物の世界ではまだあるよ。大丈夫だよ」

 そう言うとリョウタ先生は二枚のきっぷを取り出しました。そして女の子にわたしました。

「このきっぷを持っていると海のなかに探しに行けるんだよ。これは水中列車のきっぷなんだよ。だからしっかりご飯を食べて元気になるんだよ。元気にならないと行けないぞ」

「ほんとう?」

「ほんとうさ。そしてきっぷを持っていると、海のなかを歩けるんだ。気持ちいいぞ」

「ありがとう。ご飯食べる。ありがとう」

 それからリョウタ先生は女の子のお母さんに言いました。

「もう大丈夫ですよ。お薬もいらないでしょう」

 母親は少し心配そうな顔をしていましたが女の子が元気いっぱいになったので、お礼を言って帰りました。

 

 その日の夕方です。女の子は夕食をしっかり食べて、はやめにねむりました。その手には二枚のきっぷをしっかりとにぎっています。いつ行けるんだろうとゆめみながら。

するとつぎのしゅんかん、女の子は列車のなかにいました。となりにはあの仲の良かった男の子が座っています。窓の外は海の中です。水中列車に乗っています。

「え、これは夢。ここは」

「夢じゃないさ。ここは水中列車のなかだよ。まどのそとを見てごらん。ほら魚が泳いでいるよ」

 まどの外には、たしかに魚が泳いでいます。そしてカニやエビ、サンゴや貝もいます。

「ほんとうだ。わああ、すごいね。でもいつ乗ったんだろう」

「きみがきっぷを二枚もらったから、ぼくをさそったんじゃないか。ありがとう。次の駅でおりて『海の星』をさがそうよ。見つけたらどんな願いもかなうんだ」

 女の子の願いは男の子がもう一度引っこして帰ってくることです。でも男の子の願いが気になります。『海の星』をさがしに行く約束をしたけど、どんな願いがあるのか聞いていないのです。

「ねえ。どんな願いがあるの」

 女の子は気になって聞きました。

「うん。お父さんがアメリカへ行ったので、今はお母さんの家でおじいちゃんたちと暮らしているけど、はやくお父さんが帰ってきて、元の場所で家族いっしょに暮らしたいんだ」

 男の子が言うと、水中列車は駅に止まりました。アナウンスが聞こえます。

「海の中。海の中です。近くには『海の星』が見られます。探検のため一時間停車します。乗り遅れのないようにお願いいたします」

「ここで見られるのだ」

 ふたりが海の中駅に降りると道しるべがありました。

『海の星↑』がたててあります。

「こっちだ」

ふたりはサンゴのなかを右に進みます。

『海の星↓』がたててあります。

「あっちだ」

ふたりは海草のなかを左に進みます。そして光かがやく場所に着きました。真珠貝が星の形に並んで、まるで海のなかで星がまたたいているように見えます。

「これだ。これを見たら願いがかなうんだ」

「よかったね」

 しばらくの間ふたりは『海の星』のまたたきを見ていましたが、一時間以内に駅にもどらないといけません。どちらともなく言いました。

「もう、帰ろう」

 海の中駅にもどった二人は水中列車に乗り込みました。列車は海のなかをどんどん進んでいきます。ふたりは海のなかを歩いたので疲れて眠ってしまいました。

 

 朝、女の子は自分の家の部屋で目をさましました。

「ああ。夢か」

 玄関の方でお母さんの話し声がします。

「あらひさしぶり。おひっこししたって聞いたけど」

 そしてあの男の子の声も聞こえます。

「ええ。お父さんがアメリカからもどったので、またこっちで暮らします」

 女の子はびっくりしました。

「あれは夢ではなかったのかしら」

母の呼ぶ声がします。女の子は急いで、昨日リョウタ先生にもらった二枚のきっぷを探しました。でもどこを探してもきっぷは見つかりませんでした。

                         おわり

 これで3年前に書いたヤマネコりょうたの話はしばらくお休みです。

 次回は少し変わった話を載せようと思います。

            ある童話作家のタマゴの話16(9/23)に続く

山猫・・・ある童話作家のタマゴの話14

近況その⑥・・・

  1. 最近、癌のせいか、はたまた筋肉痛か、右足が痛い。階段の上り下りが少しつらい。
  2. 自然療法のおかげか、どんどん痩せて行った体重は少し戻った。
  3. 姉がヨモギを三日三晩煮詰めてヨモギエキスを作ってくれた。毎日飲んでいる。
  4. 最近はスギナ茶も毎日飲んでいる。どうかよくなりますように。ただ、飲みすぎると利尿効果が強いので脱水症に気をつけねば。

 

    ヤマネコりょうたとブルブル病

                       タカスギケンジ

 ヤマネコのリョウタはお医者さんです。山のふもとに『ヤマネコ医院』を開いています。ある日ヤマネコ医院にタヌキのポンタがやってきました。

「リョウタ先生。体がブルブルふるえて止まらないのです。みてください」ポンタはふるえながら、しんさつ室に入ってきました。

「まあ、そこに座ってください」ポンタを座らせると、リョウタはちょうしん器を取って、心ぞうの音を聴こうとしました。ところが、ポンタの座ったイスもガタガタふるえ、むねにあてた、ちょうしん器もブルブルふるえます。とても心ぞうの音を聴くことはできません。

 体温をはかろうとしましたが、体温計もブルブルふるえ、はかれません。そこでおでこに手を当てました。そして

「熱はないようですよ。いつごろからふるえだしたのですか」と聞きました。

「昨日は何ともなかったのですが、朝起きたらブルブルふるえていたのです。茶わんや、はしも持てないから、何も食べていないのです」

「なるほど。昨日何か、かわったことはありませんでしたか?」

「そう言っても、昨夜はおそくまで月を見ていただけです。もうすぐ満月ですから。私たちタヌキは満月にお祭りをします、おなかをたたいておどるんです。昨夜はその練習をしていました」

「なるほど。おなかをだして、たたいていたから、かぜをひいたのかな。とりあえずかぜ薬をのんでください」リョウタはかぜ薬をだして、ようすを見ることにしました。

しかし、ポンタのブルブルは治りませんでした。それどころか多くのタヌキやキツネが、体をブルブルしながら医院にやってきたのです。

 

「これは、伝染病かもしれないぞ。クーガー博士に相談してみよう」クーガー博士は、リョウタが大学の時の先生です。リョウタが医院を開いてからも、よくアドバイスをしてくれます。

「クーガー博士。おひさしぶりです。今、僕の医院に、多くのブルブルする患者が来ているのですが」

「リョウタくん。人間の病院にも多くのブルブルする人が来ているのだ」

「伝染病でしょうか」

「いや。こっちでもはっきりしたことはわからないのだ。ひとりひとり聞き取りをしても、その行動はまちまちなのだ。ただみんな昨夜はおそくまで月を見ていたようだ」

「月ですか?」この時リョウタはポンタの言葉を思い出しました。ポンタも月を見ていたのです。

「そもそも、体のふるえはなぜおきるか覚えているかね。我々ほ乳類は体温を一定に保つ恒温動物だ。寒い時に体をブルブルさせて振動で熱をおこすのだよ。しかし、季節は秋になったばかり、残暑のきびしいこの時分、寒いわけはないのだよ」

「患者をどうすればいいでしょうか?」

「やはり、あたためて栄養剤を与えるしか今はないね。とくにブルブルでご飯が食べられないものには多めにね」

「わかりました。クーガー博士ありがとうございました」

 リョウタはブルブルふるえているタヌキやキツネに栄養剤を与えると、家で安静にしておくように言いました。

 

 明日は十五夜です。夜空は晴れて雲ひとつありません。天の川が多くの星をきらめかせて上空をおうだんしています。もうすぐ、まん丸になるお月さまは、その光をススキの野原にあてて、野原は黄金の光る海になっています。ヤマネコのリョウタはその中で月をながめています。

「みんなお月さまを見て、ブルブルふるえるようになったんだから。お月さまを観察しよう」さすがに秋の満月の頃は多くの人や動物が、お月見をしています。でも、ブルブルふるえている者はいません。りょうたはもう一度ブルブルふるえる理由を考えていました。

「クーガー博士は寒い時にふるえると言われたが、こわい時にもふるえることがあるぞ。何かこわいものでも見たのだろうか」

 りょうたが考えていた時、野原の向こうがわで二匹の子ザルが言い争いをしていました。どうやら食べ物のことで言い争いになったようです。

「その木の実は僕が見つけていたのだぞ。かえせよ」

「ちがうぞ。僕がだいぶ前に見つけて熟すまで取っておいたのだ。だから僕のだ」

「いや、その前に僕のほうが見つけていたのだ。僕のだ」

「いや。その前だ。君の前に僕が見つけたのだ」二匹の子ザルはどちらもゆずりません。とうとう取っ組み合いのケンカになってしまいました。するとそこにリョウタの友達のサルの太一がやってきて二匹を止めました。

「半分ずつにすればいいじゃないか。こんなにあるのだから。それに今日は満月の前の日だから、みんな月を見ているのだ。わらわれるぞ」そう言って太一は二匹に言い聞かせました。一匹の子ザルは納得したようすです。もう一匹は納得できないようで

「お前なんか死んでしまえ」と言ってしまいました。するとどうでしょうか。言った子ザルはブルブルブルブルふるえだしたのです。ヤマネコのリョウタは急いでふるえている子ザルの所へ行きました。

「大丈夫かいケガはないかい?熱はないな。家に帰って安静にしておくのだ」リョウタはもう一匹の子ザルにも「ケガはないかい?」と優しく聞きました。

「僕は大丈夫です」そう言うと、ふるえていない子ザルは、ふるえている子ザルとつれだって帰って行きました。

「あ!リョウタ先生、すみません。サルのケンカにまで。ごめいわくをおかけします」太一が礼を言いました。

「いや、礼を言うのは僕のほうかもしれません。ブルブル病の原因が分かるかもしれないのです」

「今はやりの病気ですか?朝起きたらブルブルふるえているという。そう言えばそっきの子ザルもふるえていたな」

「まだ推測の段階だけど、ひょっとしてブルブルふるえていたのは、悪いことを計画したり、願ったりした者ではないかと思うのです」

「どういうことでしょうか」

「僕も大学のときに聞いたのだけど、僕たちは頭があるから頭で考えて、行動します。たとえば木の実を見つけると熟していたら食べるし、熟していなかったら待ちます。それでは頭はどうして考えるのでしょうか。それは心が考えさせるらしいのです。心が思い、頭が考え、体が行動する」

「そうですね。心が一番ですね。それとブルブル病とは」

「まあ待ってください。その心が悪いことを思ったならば、それを止める何かがあるのではないかと思ったのです。つまり、良心です。みんな良心があるのです」

「つまり、どういうことですか?」太一は見当もつきません。

「つまり、悪いことを思った時に良心がそれはやっぱりやめようとか、心をあらためさせるでしょう」

「それはそうですよ。悪いことを思ってすぐに実行したら、世の中おしまいです。ケンカで死んでしまえと言ったって、本当に死ぬことを望んでなんかいませんから」

「そうなのですよ。そこで良心の働きを高めるのは何か?と言うことなのです」

「患者はみんな前の日に月を見ているのでしたね。今も月が出ている」

「そうなのです。月の光が良心を大きくするのではないでしょうか。最初の患者はタヌキのポンタです。明日の十五夜のお祭りに、よく人間をだますじゃないですか。どうやって人間をだますか、悪いことを考えながら、はらをたたく練習をしていたのです。そこに月の光が当たり良心が大きくなり、悪いことをするのがこわくなったのですよ。そして体がふるえだしたのです」

「だから今回は、患者がよく人をだますタヌキとキツネだったんですね」

「そう、たぶん人間の患者も月夜の晩に何か悪いことを考えていたんではないでしょうか。そこへ月の光をあびて良心が大きくなり、こわくなり、体がふるえたんだとするとすべて説明できるのです」

「でも、人間の患者も多いのですよね。どうしてでしょう」

「きっと世の中が、さつばつとしたものになっているのでしょう。病院が人口の少ない街から無くなっていったり、本屋が無くなっていったり、今住みにくい時代だから。悪いことを考える人が、だんだん増えているのかもしれません」

「どうしたらいいのでしょうか」

「手を取り合うことだと思います。生き物は一人では暮らせないのだから。みんなで手を取り合ってあらそいのない世界になれば、ブルブルふるえる者もいなくなるでしょう」

「では今ふるえている者はどうしたらふるえが止まりますか?」

「せっかくお月さまが良心を大きくしてくれたのだから、もう悪いことはしない。悪いことを計画しない。良いことをする。仲直りする。そうすればひとりでに治るのではないかと思います」リョウタは患者に自分の考えを言いました。すると患者のブルブルは止まったのです。そのことをクーガー博士にも伝えました。

 

 今日は十五夜です。毎年この日はタヌキやキツネにだまされた人間がいます。そのためお巡りさんは大忙しです。ところが、今年はタヌキのタイコの音やキツネの炎は見えますが、誰もだまされた人はいませんでした。また、空き巣や泥棒などの被害もなく、みんな安心してお月見をしました。

 

 さて、そのお月さまですが、月の上でウサギがこんな会話をしていました

―太陽の光を反射する機械が少しこわれているぞ。これでは月の光が地球にとどかないー

―今、機械をなおしました。太陽の光を地球に反射させます。あ、光が大きくなりすぎましたー

―まあ、たいしたことはないだろう。光が増えて少し優しい生き物が増えるかもしれないがー

おしまい

 

            ある童話作家のタマゴの話15(9/16)に続く

山猫・・・ある童話作家のタマゴの話13

近況その➄・・・夜エアコンの音がうるさくて眠れない。エアコンを消したら、蒸し暑くて眠れない。早く秋になってほしい。

 

    ヤマネコリョウタと海外アリ

                    タカスギケンジ

 ヤマネコのリョウタはお医者さんです。山のふもとに『ヤマネコ医院』を開いています。人間の子どもや山の動物を診ています。そんなある日のこと、うさぎのメイ子が右足をまっ赤にはらして、やってきました。

「どうしました。こんなに足をはらして」リョウタはメイ子のお母さんに聞きました。

「実は山ニンジンを食べている時にアリにかまれたようなのです。山ニンジンのすぐ近くに大きなアリの巣があったものですから」メイ子のお母さんは心配そうに説明しました。というのもかまれた右足は左足の倍ふくれていたのです。

リョウタはすぐに消毒しましたが、どんなアリにかまれたかわからなければ、どんな薬をつければいいか分かりません。

「もしよかったら、その場所に案内してもらえませんか」そう言ってメイ子のお母さんに案内してもらい山に向かいました。

 

 季節は夏です。アブラゼミニイニイゼミの鳴く中を進みます。道ばたには丈の高くなったイネ科の草や、夏の草花がいっぱいに咲いています。空は晴れてお日さまがカンカンに山や野原を照らしています。ヤマネコのリョウタも、メイ子のお母さんも汗びっしょりです。

「ああ。こんな暑い日は毛皮を取ってしまいたいなあ。でも、僕は山のお医者さんだから頑張らなければ」

そう思いながら進んで行きますと山ニンジンの群生に行きあたりました。

「ここなのです。ここで山ニンジンを食べていたらメイ子が急に痛み出して」

よく見ると少しはなれた先に、見たこともないアリの巣が、あっちにもニョキニョキ、こっちにもニョキニョキできていました。

「これは、今話題の海外アリかもしれない。さっそくサンプルを取って調べよう」リョウタはピンセットでアリを一匹つかまえると、サンプルビンにしまい、一目散に病院にもどりました。

リョウタの恐れていたとおり、アリは海外アリでした。そしてアリの体液を調べるとおそろしい猛毒が入っていたのです。とりあえずウサギのメイ子には、ちんつう剤と抗生物質を与えました。

「これは、僕の手におえないぞ。クーガー博士に相談しよう」クーガー博士はリョウタの大学時代の先生です。連絡すると

「リョウタくん。日本は今、海外アリのしんりゃくを受けているのです。最初は海外からの荷物を受け入れる港で発見されたのですが、その時にはすでに内陸部にも侵入していたのです。一匹の女王アリは百万から一千万の卵を産みます。山や野原で爆発的に増えているのです」

「クーガー博士。何か天敵になるものはいないのですか?また、かまれたら、どんな治療がいいのですか?」

「リョウタくん天敵はカエル。カエルはこのアリを食べるそうです。ただどんな薬が効くのか、まだわからないのです」

「先生は自然界の不思議について話されていたではないですか。本当に無いのですか」

大学の講義で自然界の不思議についてクーガー博士は、

「自然界は不思議ですね。たとえばアマゾンにはマラリアを運ぶカがいます。多くの人が刺されて死んでいますが、同じアマゾンの中にはキナの木が生えています。キナから採れるキニーネマラリアの薬なのです。つまり進化の中で植物は、動物の毒を中和するようなものを作っているのですね」とよく口にしていました。

「なにか植物が薬になるものを作っていないのですか」リョウタは祈るような気持ちで再度聞きました。

「日本にはさまざまな薬草が野山に生えています。その中で海外アリの毒に効く薬草があるかもしれません。アリの巣のまわりをよく観察してください」

「わかりました。いろんな薬草を調べてみます。ありがとうございました」リョウタはクーガー博士との通信を切りました。

 

 今日はもう医院を休みにしました。リョウタは山の仲間サルの太一と、もう一度海外アリの巣のところに行ってみました。

 太一はサルですから木から木へ伝わって行きます。また、リョウタはヤマネコですから、木登りは得意です。でも太一のように木から木に、早くは行けません。そこで、太一はリョウタを背負い忍者のように、林の中を木から木へ走って、海外アリの巣の所へやってきました。

「ありがとう。早く着いてよかった。どんな薬草がいいのだろうか」リョウタが考えながらアリの巣を見ますと、巣のまわりにカラスノエンドウが群生し、その外側に山ニンジンが生えています。そのまわりに人間の薬草にもなるドクダミゲンノショウコ、センブリ、リンドウがあります。

「そういえばアリは植物と共生すると聞いたことがあるぞ」とリョウタ。

「どういうことさ」と太一。

「アリのなかには植物を食べる昆虫から、植物を守るやつがいるのだ。たとえば、クロアリはカラスノエンドウから蜜をもらいながら、他の昆虫からカラスノエンドウを守っているのだ」

「ということは、海外アリはカラスノエンドウの蜜を吸いながら、守っているのかな」と太一。

「うん。このあたりが海外アリの住みかだから、この辺に生えている植物はみんな持って帰ろう」リョウタはかごを出して海外アリに気をつけながら、草花を摘みました。帰りも太一に背負われていち早く帰ってきました。

 

 ウサギのメイ子は医院のベッドで苦しんでいました。右足のはれは少し引きましたが、熱が出て来たのです。熱は体が毒を追い出そうとしているのです。リョウタと太一は帰ってさっそく薬つくりです。

カラスノエンドウは人間の胃薬にもなるから、これは入れよう。次にドクダミゲンノショウコ、センブリ、リンドウこれらも薬草だ。まず、すべてを煮るのだ」リョウタは大きなナベに薬草と水を入れてグツグツ水が半分になるまで煮ました。

「大丈夫かな」太一は心配しています。

「これを飲んでごらん」リョウタは煮汁にハチミツを入れてメイ子に飲ませました。すると急にメイ子は汗をかきはじめました。汗と一緒に体の毒が外に出ていったのです。

「とりあえず、ひと安心かな」

「よかった。でもなんでアリの巣のまわりの植物が薬になったのだろう」太一は不思議でした。

「僕もよくはわからないけど、生き物は一人では生きられないからじゃないかな。特にアリは様々な植物や昆虫とも共生しているから。助け合って生きているから。だからまわりの助け合っている植物に、自分の毒が効かないようにしているのではないかな。たぶんカラスノエンドウの中には、海外アリの毒を中和する薬が、できていたのだよ」

「そうなのか」

「もちろん。想像だよ。カラスノエンドウではなく、他の薬草の成分が良かったのかもしれない。それはまた、人間の研究者が調べるよ。大切なことはアリもそうだけど、僕たちもみんな一人では生きられないってことさ。今日太一が僕を運んでくれなかったら間に合わなかったかもしれないのだ。みんな助け合っているから生きられるのだ」

「そうだな。食べ物も水も空気も必要だし、薬になる草や木や、そして何よりお医者さんだな。また何かあったらたのむぜ」そう言うとサルの太一は帰って行きました。

「何かあったらたのむのは自分だよ。ひとりでは生きられない。本当にそうだな」とリョウタは思いました。 

            ある童話作家のタマゴの話14(9/9)に続く

山猫・・・ある童話作家のタマゴの話12

近況その④・・・最近、目、耳が不調。髪がなぜか、あまり伸びなくなったようです。膵臓癌と診断されて今日でちょうど9カ月たちました。玄米菜食と自然療法で、まだ何とか頑張って生きています。

 前回のヤマネコリョウタの話、いかがだったでしょうか。

 今回はヤマネコのリョウタがなぜお医者さんになったのか、書いた童話です。

             ヤマネコリョウタ

                       タカスギケンジ

 まだ冬の寒さがのこる朝、ヤマネコのリョウタは、ほら穴の中で目をさましました。

「お母さん。おはよう。まだ寒いね」

「おきたのかい。顔を洗っておいで」お母さんは朝食のしたくをしながら声をかけました。

 リョウタが外に出ますと、野原には春の花、タンポポやスミレやハハコグサが咲いています。すぐ近くのふたご山は、頭の上に白いボウシをかぶっています。すぐそばの小川でリョウタは、水を目の上にチョコンとつけますと、すぐにゴクゴク飲みはじめました。小川の水はきれいにすんでいて、リョウタの顔をうつします。

「やっぱり僕はまだヤマネコだなあ。早く人間のようになりたいなあ」リョウタはひとりごとを言うと、ほら穴に帰って行きました。

「お母さん。僕はいつ人間になれるの?」

「私たちヤマネコは、心から人間になりたいと思えば、いつでも人間になれるのですよ」お母さんネコは優しく言いました。その時です。

「ドゴーン。ドゴーン。ゴーゴー」

ものすごい音が、ほら穴の中にも聞こえてきました。

「なに。お母さん」

「なだれだわ。山の上の雪がものすごい、いきおいで落ちてくるの。その時、木や岩なんかも一緒に落ちてくるので、絶対に近寄ってはだめですよ」ヤマネコのお母さんは、リョウタによくよく言い聞かせました。でもこの時リョウタは見に行きたくて、うずうずしていたのです。

 

 朝食後リョウタは遊びに行くと言って、ふたご山の近くまで行きました。山の上から落ちてきた雪は、木や岩をまきこみ、その流れた後は黒い土がえぐれて、ぶきみにひかっていました。また、落ちてきた木や岩や雪の中で、仲間の動物たちが、けがをしているではありませんか。

「クマさん。タヌキさん。サルくん。リスくん。どうしたの?」リョウタは心配そうにかけよります。

「みんなで、林の中でかくれんぼをしていたのだよ。急に上からいろんなものが落ちてきたのだ」とクマさん。

「とりあえず、ふたご山の間の湯に行くから、手をかしてくれ」とリスくん。ふたご山の雄山と雌山の間には、温泉がわいているのです。みんな、なだれで足や手やおなかに、ケガしていました。動物たちは何かケガをしたり、病気になったりすると、温泉に入って傷を治すのです。

「俺たちにも人間のようにお医者さんがいたらなあ」とサルくんはお湯に入りながら、しみじみと言いました。

「人間のお医者さん?何をする人なの」とリョウタが聞きました。するとサルくんは

「ケガをしたり、病気したり困ったときに、薬をつけたり治したりしてくれる人さ」

「僕たちの中にはいないから、僕たち動物はケガをすると、湯に入るぐらいしかないのだ」とリスくんも言いました。

「それじゃ僕。人間になれたらお医者さんになるよ。そうして山のみんなをケガや病気から守ってあげる」リョウタはこの時、人間になりたいと心から思いました。

 

 リョウタはしばらくして人間に変わりました。お母さんも一緒です。まちに住み、人間の中にとけこんでくらしています。

「お母さん。人間は大変だねえ。学校があるし宿題もあるし。覚えることがいっぱいあるのだ。お医者さんになるためには、小学校から大学まで十八年もかかるのだよ」

「でも、山のみんなのためにリョウタが決めたことですよ。決めたことは最後までがんばってやるのですよ」

 リョウタはがんばりました。人間にまざって高校入試、大学入試に合格しました。あっというまに月日はすぎて、リョウタは大学の医学部を卒業して、りっぱなお医者さんになりました。

 

 リョウタは山のふもとに『ヤマネコ医院』をひらきました。そこには

―小児科と動物をしんさつしますー

と書いてあります。

 医院では人間の子どものほかに、傷ついた動物たちにも、ちゃんとシンサツケンが配られるのです。キツネやタヌキ、サルやリス、多くのケガや病気した動物がやってきます。人間の子どもたちもおおよろこびです。医院では動物たちと友達になれるのですから。ただサルくんからは

「リョウタ先生。なんで、獣医にならなかったの。僕たち動物をしんさつするなら、人間のお医者さんよりも獣医さんでしょう」と言われるのです。するとリョウタは、いつもニコニコしているだけなのです。そしてみんなが帰ったあとに

「まさか、仲間の動物たちがお金の代わりに置いていく、ドングリや木の実や山菜では、薬が買えないからとは言えないなあ」とひとりつぶやくのです。

 リョウタの『ヤマネコ医院』は山のふもとにありますから、傷ついた動物がいれば教えてあげてくださいね。

                           おわり

 

 

            ある童話作家のタマゴの話13(9/2)に続く

山猫・・・ある童話作家のタマゴの話11

近況その③・・・暑いので何もやる気がしません。そこで久しぶりに、昔書いた童話を掲載します。ある出版社が公募した絵本の原稿です。賞には入らなかったのですが、出版社から自費出版を勧められました。結局、自費出版は断ったのですが、このヤマネコリョウタの話はその後、何作も書きました。まあ読んでみてください。

 

    ヤマネコリョウタの妹イズミ

                   タカスギケンジ

一幕

 

 ヤマネコのリョウタはお医者さんです。山のふもとの「ヤマネコ医院」で今日も患者さんの手当てをしています。人間の子ども向け病院ですが、ケガや病気をした動物たちも診ています。

 この日、妹のイズミが看護師として帰ってきました。今まで四年間大学で勉強していたのです。

 

二幕

 

「お兄ちゃん。ただいま」

「おお。さっそく着がえて、手当を頼む。

クマのアイさんは風邪の注射

ウシのコイさんは傷薬と包帯

ヤギのメイさんは腹痛の薬

それに昼から手術があるので助手をしてくれ」

「はい」イズミは手早く手当てをはじめました。

 

三幕

 

 昼休憩になりました。一緒にご飯を食べているとイズミが話し始めました。

「患者さんが多いねえ。私たち動物だけじゃなくて、人間の患者さんが。なぜかしら?」

「それはこの街の病院が減ったからなのだ。この街のお医者さんの子どもは、たいてい医学部に進学するけど、お医者になっても、この街に帰ってこないのだ。だからあちこちの病院がなくなっているのさ」

「なんで帰ってこないのだろう」

「都会の方が、魅力があるのだよ。特に新しい医療技術を開発して医学史に名前を残したい人は大学に残るだろ」

「病気の人を治したいお医者さんは、いないの」

「いや新しい医療技術を開発したら、多くの病気の人が助かるじゃないか」

「それはそうだけど。なんだか納得できないな」

「まあ。いろんな医者がいればいいじゃないか。昼からの手術たのむぞ」

「はい」

 

四幕

 

 手術室にはイノシシの患者さんが寝ています。

「お兄さん。この患者さんはどこが悪いの?」

「この患者さんは、心にポッカリ穴があいているのだ。その穴をうめる手術だ。たのむぞ」

 ヤマネコのリョウタは、患者さんの心の中にもぐっていきました。そこは暗い森の中に似ていました。

「心がポッカリあいた原因がどこかにあるはずだ」

 リョウタは何か手がかりがないか探しました。すると高い山の上に西洋の城のように見える建物があります。

「登ってみよう」

 リョウタは城をめざして登り始めました。

 

五幕

 

 城の前には門番がいます。

「おまえは誰だ」

「僕は医者です。この患者さんの心の中を治しに来たのです」

「そうか。通るが良い。三つの難関を越えれば、助けることができる。しかし、助けられないと、お前も同じ病気になるかも知れないぞ。心に穴があくのだ」

「大丈夫です」

門番は門を開けて通してくれました。

 

六幕

 

「この城の中に何か手がかりがあるのだ」

 リョウタはどんどん進んでいきました。最初に出てきたのは良心です。

「どなたですか」良心が聞きました。

「私は医者のヤマネコのリョウタです」

「私は良心です。私の心は治りません。私は山火事で仲間を見捨てて逃げてしまったのです。自分だけが助かればいいと・・・」良心がそう言うと、リョウタの目の前に山火事が広がりました。

 

七幕

 

 イノシシが仲間とともに逃げています。一匹が足を取られ進めません。もう一匹が立ち止まりました。でも見捨てていこうとしています。

「だめだ。今逃げたら後悔するぞ。助けるのだ」リョウタが叫びました。

「でもあいつは前、オレにいじわるしたのだ」

「どんなヤツでも仲間を見捨てたら良心がこわれるよ」

「そうかわかった」イノシシは引き返し仲間を助けました。イノシシは良心を取り戻したのです。

 

八幕

 

 景色はいつの間にかイノシシの心の中にある城に変わっていました。良心の姿も見えません。リョウタはどんどん進んでいきます。次に現れたのが、正義感です。

「あなたは良心を救いました。私も救ってくれるのですか」

「あなたは誰ですか」

「私は正義感です。私は親に絶対に悪いことをしないように、悪い者に立ち向かうように育てられました。しかし、あのときはどうかしていたのです。それはみんなで珍しい宝石を見つけたときです。あまりに美しかったので、みんなで分けるのが惜しくなったのです。そこで相撲をして、勝った者が全部独り占めできるようにしようと・・・」

 

九幕

 

 あたりにはきれいな宝石の原石がいっぱいです。その周りで、イノシシがすもうをとっています。どうやらこのイノシシが一番になったところのようです。

「僕にもすもうをとらせてくれ」リョウタが言いました。

「きみはヤマネコじゃないか。ケガしないうちに帰った方がいいぞ」

「大丈夫だ。僕はニャンニン寺拳法やっているから」

「よし相手になってやる」

 リョウタとイノシシの一戦は歴史に残る戦いになりました。

 イノシシが不利な体勢になったとき、リョウタは攻めませんでした。

するとリョウタが不利な体勢になったとき、イノシシも攻めませんでした。

正々堂々、力と力で二人は相撲をしました。そしてリョウタは勝利しました。

「僕は宝石はいらないから、みんなで仲良く分けるのだ。いいね」

 イノシシもリョウタとの一戦で正義感を取り戻し、宝石なんかより大切なものを思い出したのでした。

「そうするよ。ありがとう」

 

十幕

 

 あたりはまたもや、イノシシの心の中にある城に変わっていました。正義感の姿は見えません。リョウタはどんどん進みました。次に現れたのは慈悲心でした。

「あなたは良心も正義感も救ってくれました。私も救ってくれるのですか」

「あなたは誰ですか」

「私は慈悲心です」

 それを遠く手術室で聞いていた妹のイズミは、患者の心の中へ飛び込んできました。

「イズミどうしたんだ。何で入ってきた」

「お兄ちゃんは説得したり、戦ったり、するのは得意でしょう。でも、相手は慈悲心なのよ。慈悲の心で救わないといけないは。ここは私が変わります」

 

 リョウタはいつの間にか手術室に戻っていました。

 

十一幕

 

 イズミと慈悲心との会話が聞こえます。

「何をやったの、誰かを見殺しにするとか?」イズミが聞きます。

「私はお腹がいっぱいだったのに、山芋を残らず食べてしまったのだ。山芋のやつが自分は食ってもいいけど、来年のために小さいやつは、残しておいてくれと頼んだのにね。わしは慈悲心をなくしたのだ。」

 

十二幕

 

 するとあたりには山芋を食べているイノシシの姿が現れました。

「全部食べたらだめよ」イズミは話しかけました。

「なぜだ。全部食べると決めたのだ。もっと太ってやるのだ」

「いえ。山芋は子どもを残したいのです。また、動物も同じなの。私たち動物も必要な分しか食べないから、自然は私たちを生かしてくれているの。何かが無くなれば、それは巡り巡って私たちが将来困ることになるのよ。さあ。慈悲心をよみがえらせなさい」

イズミの前身から光が発し、あたりは光に包まれ、まばゆいばかりです。イノシシの慈悲心を覆っていた黒いマントのような物もなくなり、イノシシの優しい顔の姿が現れました。

「わかった。小さいヤツだけ残しておこう」

 

十三幕

 

 ふたたび、イノシシの心の中にある城の中です。

「生き物は完全ではないのです。時には我が身が大切で、良心に反することをするでしょう。時には欲望で正義感を忘れるのです。そして食欲が慈悲心を失わせることもあるのです。

 でもそれを悔い改める者は救われるのです。あなたは三つの行いから心にポッカリ穴があいていたのです。あなたはそれを心から悔い改めました。これからは正しい行いをして生きてくださいね」

 イズミの慈悲心がイノシシの慈悲心をよみがえらせたのです。

 

十四幕

 

 ここは手術室。目を覚ましたイノシシの患者さんは、心の中が良心や正義感、慈悲心でいっぱいになっているのを感じました。

「手術は終わりました。もう大丈夫ですよ」リョウタが言いました。

「お大事に」イズミも言いました。

「私は夢の中でお二人に会ったような気がするのですが、よく覚えていません。とにかく、気分は晴れやかです」イノシシの患者さんは帰っていきました。

 

十五幕

 

 今日一日の仕事が終わりました。

「結局あのイノシシの患者さん。現実には変わっていないのよね」

「ちがうよ。夢の中は過去とつながっているのだ。だから実際に歴史が変わって山火事では仲間を見捨てなかったのだ。相撲でも終わったあと、宝石はみんなで分けたのだ。それに山芋はツルを残して、子どもを作っているからね。来年も再来年も大きな芋が生えるのだ」

「ええ、そうなの」

「ああ。ただね、心の中の穴は、自分の弱い心があけたのだから、自分の心を強くして埋めるしかないのだけどね」

「そうね。あーあ。疲れたわ」

「まあ、明日からもよろしくね」

 二人はおいしいコーヒーを飲んで疲れをとりました。

                         おわり

*もちろんこの童話はぼくの創作ですが、少林寺拳法の教えを参考に作りました。少林寺拳法に大切なのは慈悲心と正義感。この混とんとした社会を生きていくためにも必要な事ですよね。

 

          ある童話作家のタマゴの話12(8/26)に続く

ある童話作家のタマゴの話10・・・サプリメントそして仮説

近況その②・・・自然療法の効能

 最近、お腹や背中が痛いことが多いです。かなり痩せて、お腹や背中の骨が寝ていたら直接布団に当たる感じです。そこでもう一度芋湿布に挑戦しました。サトイモは手に入りにくいのでジャガイモとショウガを使いました。10対1の割合ですりおろし、ガーゼに包み、お腹や背中に湿布しました。数日で痛みがやわらぎました。

 さて前回断食について紹介しましたが、みなさんは無理な断食はやめてくださいね。誰かしっかりした指導者についてされることを望みます。さて、まずは前回の続き濃い人生と、今回はサプリメントについてです。そして記念すべき第10回なので自然療法についての仮説をたてました。

 

 濃い人生 その④ 子どもたち

 これまで家庭についてまったく書きませんでしたが、ぼくは4人家族です。ぼくの子どもがまだ小さいときには、家族4人、県教育公舎に住んでいました。その公舎を改築するというので、息子の通う保育所の近くに土地を買って家を建てました。

 その数年後、息子の通う中学校があまりに遠いので、徒歩で通える所に土地を買って二軒目の家を建てました。学校が近くなったおかげかどうかわかりませんが、子どもたちの成績はかなり優秀でした。

 息子 高校で県数学コンクール優秀賞

    京都大学卒業

 娘  高校で県科学オリンピック生物部門金賞

    名古屋大学大学院修了

 息子も娘も特に塾へ行っていないし、家庭教師を頼んだわけでもありません。授業や部活動指導以外の仕事で忙しいぼくは、特に何の手助けもしていません。それぞれが頑張って優秀な成績をおさめたのです。

 そう言えば、ただ一つだけ子どもたちのためにしたことがあります。子どもたちが中学生高校生になって、ぼくは毎朝4時に起き、子どもたちの弁当を作ったことです。9年間休まず続けました。娘が大学に合格したら、もう弁当を作らなくてもいいのだと、ホッとしました。

 そして、子どもが大学に行かなかったら訪れることもなかった、京都や名古屋に遊びに行ったのは言うまでもありません。

 そんな優秀な子どもたちのおかげで、ぼくは本当に濃い人生を過ごさせてもらいました。できれば、ぼくみたいな病気に子どもたちがかからないように祈っています。

 

さて、今回はサプリメントについてです。

 

◎本の紹介その7 主婦の友社『がんを消す食100のコツ』

 

この本は何人かの医者、医学博士や教授、栄養士などが監修している本です。興味深い内容の所だけ紹介します。

 

1 がん予防が期待できる40種類の食品

 レベル1・・・メロン バジル タラゴン えん麦 はっか オレガノ きゅうり タイム あさつき ローズマリー セージ ジャガイモ 大麦

ベリー

 レベル2・・・タマネギ 茶 ターメリック 玄米 全粒小麦 亜麻 オレンジ レモン グレープフルーツ トマト ナス ピーマン ブロッコリー カリフラワー 芽キャベツ

 レベル3・・・ニンニク キャベツ かんぞう 大豆 生姜 ニンジン セロリ パースニップ

 

 となっていました。ほとんどが植物です。人間にとって本当に体に良い食べ物は植物なのだなと思います。なお、キャベツ ニンジン タマネギは毎日と言っていいほど食べていたのに、なぜ癌になったのかなと思う今日この頃です。

 

2 がんに有効な健康補助食品4つの機能

  • がん細胞に対抗する免疫機能を活性化するものとして

 

アガリクス めしまこぶ まいたけ やまぶしたけ 六角霊芝などのキノコ類 アラビノキシラン 米ぬかエキス 腸管免疫高める乳酸菌 植物酵素 紫イベ オリゴ糖エキスなど 

 

 フコイダンなどの海藻類 タヒボ茶 ニンニク 核酸など

  • がんを増殖させる新生血管の形成を抑えるものとして

 

フコイダンなどの海藻類 サメ軟骨 タヒボ茶など

  • その他の作用によって抗がんに有効なものとして

 

高い栄養価と抗菌作用持つプロポリス 多様な栄養素と抗酸化作用持つスピルリナ クロレラ 抗酸化作用持つビタミンCE リコピン アスタキサンチン がん細胞の分裂抑制する天仙液 気力高めるエゾウコギなど

 

となっていたので自然食品店でフコイダンを買いました。

 

3 TAF時間差療法・・・3種類の機能性食品いちばん効果的な時間にとる

  • がん細胞がどんどん増殖する時間帯、つまり夜間にがん細胞の自殺を誘導するフコイダンをとる。
  • 生き残ったがん細胞が栄養を求めて新生血管をつくるのをストップさせるため、翌朝に秋ウコンをとる。
  • 免疫活性が落ちた時間帯、つまり午後に免疫力を高めるアガリクス菌糸体をとる。

 

 

 となっていました。フコイダンはがん細胞を自殺にも導くし、新生血管の形成も抑えるので夜間から朝、フコイダンを飲めばいいのかなと思いました。また、免疫力を高めるのはキノコ類なので午後キノコを食べればいいのかなと思いました。

 

サプリメントを買って試したころの一日を書き出してみます 7/1(水) 

朝 腹式呼吸して健康摩擦して足医術をする。薬草茶 

朝食 リンゴ 青汁ニンジンジュース  枇杷蒟蒻湿布

昼 腹式呼吸して健康摩擦して足医術をする。タモギタケ 薬草茶 

  昼食 玄米菜食            枇杷蒟蒻湿布

夕 腹式呼吸して健康摩擦して足医術をする。梅肉エキス 薬草茶 

  夕食 玄米菜食 

夜 腹式呼吸して健康摩擦して足医術をする。フコイダン 薬草茶 

 

サプリメント・・・

フコイダン 期間 5月1日から7月4日まで65日間

タモギタケ 期間 3月30日から7月4日まで107日間と

      期間 7月31日から今日、8月12日まで継続中

〇食薬・・・

梅肉エキス 期間 2月6日から今日、7月17日まで163日間

高麗人参エキス 期間 7月18日から今日、8月12日まで26日間 継続中

 

〇飲み物・・・

青汁 期間 2月21日から今日、8月12日まで174日間 継続中

人参ジュース 期間 2月22日から今日、8月12日まで173日間 継続中

薬草茶 期間 5月30日から今日、8月12日まで74日間 継続中

 ハブソウ茶 ゲンノショウコ ドクダミ 番茶 豆茶 スギナ

〇手当法

枇杷葉療法 期間 1月18日から今日、8月12日まで214日間 継続中

枇杷葉蒟蒻湿布 期間 2月3日から5月21日まで109日間

        6月22日から今日、8月12日まで52日間 継続中

腹式呼吸 期間2月8日から今日、8月12日まで187日間 継続中

健康摩擦 期間2月13日から今日、8月12日まで182日間 継続中

足医術  期間11月26日から今日、8月12日まで261日間 継続中

〇玄米菜食の食事 

 期間 1月20日から今日、8月12日まで212日間 継続中

 

 さて、これまで何冊かの本を読んで自然療法について考察し、ある仮説をたてました。

 今回は現代医学が見捨てた癌患者のみなさんが、なぜ自然療法や食事療法により、良い結果が出たのか、考えてみたいと思います。まあ、あくまで仮説です。お付き合いください。

 

考察① まずベースはムラキテルミ氏の本からです。彼女の本には肝臓癌が断食によって自己融解して完治したことを書かれています。

 断食をすると、病気のもととなっているタンパク質、脂肪などが健康細胞の栄養として食べられて、なくなってしまう、これを自己融解という。断食によって、自己融解が起こった結果、ガン、脂肪肝動脈硬化、炎症が治癒する

 これは本当でしょうか。もちろん彼女が今生きているのだから、自己融解がおこり癌は完治したのでしょう。でも普通癌細胞にはガードがあるので、どんなに免疫細胞を増やしても、マクロファージやキラーT細胞を増やしても、癌細胞を攻撃することはできないと、ぼくは大学病院の医者に聞きました。

 よって普通の状態の癌細胞は、断食(食事療法)だけでは治らないと考えます。何らかの方法で癌細胞は弱まっていたのではないでしょうか。

 

考察② 次に体温についてです。多くの本の情報に癌細胞は熱に弱い、と書いてあります。

 真柄医師はガン患者さんには体温を上げることが大切、そのためにヒートショックプロテイン入浴法を勧めていると本に書かれています。ムラキテルミ氏の本には35.1℃以下で体内はガンの増殖場。39.3℃以上で体内のガン細胞は死滅。36.5℃以上の体温で再発転移のリスクが低くなる。

 癌が熱に弱いということは、どの本を見ても同じようなことが書いてあるから、間違いないと思われます。癌は熱に弱いのです。温熱療法はこのガンの性質を利用したものでしょう。

 そこでもう一度ムラキ氏の本に戻ります。ムラキ氏は41℃の熱が出たとき、「良かったですね。ウイルスの力を借りて体を殺菌しているのですから、心配はいりません。」と石原医師に言われています。

 つまりこの高熱によってムラキ氏の癌細胞は弱まっていたのではないでしょうか。

 

考察③ そして琵琶生葉療法についてです。なぜ枇杷の葉が癌に効くのか。化学的根拠は何か。

 赤本では枇杷の葉には猛毒の青酸が含まれているので、皮膚を通して癌細胞に働きかけ、癌細胞を死滅させるのではないかと書いてあります。

 まあ、抗がん剤が癌細胞にとって猛毒なのは良く知られています。青酸も猛毒なので、抗がん剤と同じ働きがあるのかもしれません。ただ、抗がん剤は普通の細胞にも働きかける副作用があるので、抗がん剤より枇杷の葉が良いのかもしれません。

 

考察④ 東城百合子氏の自然療法の本には癌は食事療法だけではダメで、手当てが必要と書いてあります。また厳格に食事療法を守ることが大切だと記載されています。

 これは、断食(食事療法)だけではダメ。枇杷生葉療法だけでもダメ。温熱療法だけでもダメ。ということです。なお、真柄医師の本にも食事療法だけではなく、刺絡療法やメンタルケアが大切と書いてあります。ムラキテルミ氏も断食(食事療法)しただけではなく、治療中に発熱したり、生姜で身体全体を温めたりしています。

 

仮説 ムラキ氏の場合、生姜湿布や高熱のために、癌細胞が死滅した、もしくは弱くなった。この弱った癌細胞は免疫細胞のマクロファージやキラーT細胞の食作用により、自己融解が起こって、肝臓癌が完治した。

 

結論 つまり自然療法で必要なことは2つある。

1 枇杷生葉療法もしくは、温熱療法により癌細胞を、まず死滅させる。もしくは弱らせる。

2 断食(食事療法)により、死滅した癌細胞、もしくは弱まった癌細胞を自己融解させる。

 

◎まあ、これらはあくまでぼくの仮説です。さて、この仮説をもとに最近どうすごしているか、書き出してみます。 8/8(土)

朝 腹式呼吸 健康摩擦 足医術 薬草茶 枇杷蒟蒻湿布

昼 腹式呼吸 健康摩擦 足医術 タモギタケ 薬草茶 

  昼食 リンゴ青汁ニンジンジュース  枇杷蒟蒻湿布 芋湿布 

夕 腹式呼吸 健康摩擦 足医術 高麗人参エキス 薬草茶 

  夕食 玄米菜食 

夜 腹式呼吸 健康摩擦 足医術 薬草茶   

 

 1日2食です。かなりシンプルに昼はリンゴと青汁とニンジンジュース。夜は少し量を減らした玄米菜食。サプリメントはタモギタケ。食薬は高麗人参エキスか梅肉エキス。手当は枇杷蒟蒻湿布です。うまくいけばいいのですが。

 

 さて、次回から童話作家のタマゴらしく、昔書いた童話などを掲載していきます。良かったらみなさん読んでみてください。

         ある童話作家のタマゴの話11(8/19)に続く